こんにちは!
相撲の世界に魅せられて以来、様々な相撲関連の記事を書いてきました。今回は、特に相撲の中心である土俵にスポットを当てた特集をお届けします。
相撲を見ていると、土俵の大きさや高さ、部分ごとの呼び名などが気になることが多いですよね。そこで、この記事では土俵の構造を詳細に調べ、その魅力を深く掘り下げてみました。
さらに、土俵の作り方や女性が土俵に上がれない理由など、興味深い雑学もたっぷりと探求しています。最後までお付き合いいただけると嬉しいです。
それでは、土俵の大きさから詳しく見ていきましょう。
相撲の中心となる土俵の特徴について見てみましょう!
土俵の大きさはどうなっているの?
まずは、土俵の大きさに関して、紹介します。
土俵は一辺が6.7メートルの正方形で、その中央部には直径4.55メートルの円が設けられています。この円内で力士は相撲を取るのです。
<補足>
公式の「土俵規定」では、6.7メートル四方のエリアを「土俵」としていますが、実際に試合が行われるのは直径4.55メートルの円内です。このため、一般的にはこの円を指して「土俵」と呼ぶことが多いです。この記事でも、この円を指して「土俵」とします。
2018年の時点での幕内力士の平均身長は約184.2センチメートル。このことから、土俵の直径は力士の身長の約2.5倍ということになります。
試合を見ていると、土俵は意外と小さく感じます。すぐに土俵端に達してしまうこともあります。
元々の土俵の直径は3.94メートルだったのですが、身長が高い力士が増えたことで、昭和6年に4.55メートルに拡大されました。これは試合の見応えを高め、早い決着を防ぐための変更でした。
今後力士の体格がさらに大きくなれば、土俵のサイズも変わる可能性があるでしょう。
次は、土俵の高さについて詳しく見ていきましょう。
土俵の高さに関する興味深いポイントを見てみましょう。
一般的に、土俵の高さは34cmから60cmの範囲とされていますが、実際にはもう少し高いように見えますね。多分60cmに近いのではないかと思われます。
実のところ、土俵の高さに関しては厳密な基準が設けられていないのです。
では、なぜもともと平地で行われていた相撲が、高さのある土俵で行われるようになったのでしょうか?この疑問に対して、以下の3つの理由が考えられます。
1.観客の視点を考慮して
昔は現在のように段々となった観客席はなく、後ろの席からは見えにくい状態でした。より多くの人に見てもらうために土俵を高くしたという考えがあります。これは、土俵を一種の「ステージ」として位置づける考え方です。
2.勝負審判との視線の一致
大相撲においては、土俵の下に5人の勝負審判が座っています。彼らの視線の高さが土俵の高さと一致することから、審判の視点を考慮して土俵が設計されたとも言えます。これにより、土俵際での動きがよく見えるようになります。
3.真剣勝負を促す目的
土俵からの落下は痛いものですから、力士は落ちないように真剣に取り組みます。これにより、より熱心な試合が展開されるわけです。力士は体を鍛えていますが、落ちると痛いのは事実です。
次に、土俵の各部分の名称について詳しく見ていきましょう。
土俵の各部分とその名称について
まず、土俵の主要な部分とそれらの名前を図にしてみました。見てみましょう。
参照 https://www.raikouin.or.jp/
図にはいくつかの重要な部位が示されています。中でも特に重要なのが「踏み俵」です。この図では一面に1つしか描かれていませんが、実際の大相撲の土俵には各面に3つずつあります。
図では表現しきれなかった部分として、「蛇の目の砂」も存在します。これは、土俵の円周の外側に沿って、幅25cmで敷かれている砂のことを指します。この「蛇の目の砂」の意味については後で詳しく解説します。
土俵にはまだまだ見逃せない点がたくさんあります。次に、土俵の方角について詳しくご紹介します。
土俵の向きの決め方について
相撲の土俵の向きを決める方法は、一般的な東西南北とは異なるのをご存知でしょうか?私自身も調べるまでは、ただの地理的な方向だと思っていました。
土俵の向きは以下の方法で決定されます。
土俵が設置される場所で「これが正面」と決める部分を「北」とします。
この「北」を正面とし、左側を「東」、右側を「西」とします。
そして、「北」の反対側を「南」とし、これを「向こう正面」と呼びます。
つまり、土俵の「東」「西」などの名称は、実際の方角を示すものではなく、単に位置を指す名称にすぎません。
大相撲を観戦する際には、方位磁石で確認してみるのも面白いでしょう。東西が実際の方角と一致していても、それは単なる偶然です。
テレビ中継で見ると、行司が立つ方向のカメラは北側に設置されています。これは、行司が向こう正面に背を向けていることを意味します。
この慣習は、江戸時代の将軍上覧相撲から来ています。将軍が正面に座っていたので、行司は将軍に背を向けないように、正面(北)を向いているのです。
相撲の世界には、このような歴史的な深みがあります。
ちなみに、両国国技館の土俵の実際の方角は以下の通りです。
正面(北)は西北西
南は東南東
東は北北東
西は南南西
このように、土俵の向きは相撲の魅力の一部です。
土俵の仕切り線のサイズに関して
次に、土俵に引かれている仕切り線の具体的なサイズについて見ていきましょう。
仕切り線の長さは90cm
幅は6cm
とされています。
2本の仕切り線の間隔は70cmに設定されています。現在は、仕切り線をエナメルで塗り、土俵の表面と同じ高さになるようにしています。
昔は、仕切り線の箇所を少し掘り下げ、そこに石灰を詰める方法が用いられていました。しかし、この仕切り線に力士がつまずく事例があったため、今のようにエナメルを使用するように変わりました。
仕切り線でつまずくというのは、小さなことのように思えますが、微妙な高低差が力士の動きに影響することがあるようです。
続いて、土俵の吊り屋根の四隅にある房の詳細について説明していきます。
吊り屋根の四隅の房の色彩とその背景
相撲の土俵にある吊り屋根の四隅に掛けられているカラフルな房の配置とその意味を、図と表を使って理解しましょう。
左前 青 春 青龍
左後 赤 夏 朱雀(赤い鳥)
右後 白 秋 白虎
右前 黒 冬 玄武(黒い亀)
吊り屋根の四隅には異なる色の房が各々掛けられています。これらの色は、表に示す通り、季節ごとに対応する神獣を象徴しています。
これらの神獣は、中国の神話に由来する四神で、四方の方角と四季を統べる霊獣とされています。
土俵の吊り屋根に房が付くようになった経緯は次の通りです。
<吊り屋根の房の起源>
土俵の吊り屋根スタイルは昭和27年から始まりました。それ以前は、土俵には4本の柱が立っており、それらには色付きの布が巻かれていました。現在の吊り屋根にある房は、この布の名残として採用されています。
柱があった時代は、四隅の観客の視界を遮っており、テレビ中継が始まるとさらに不要論が強まりました。結果、柱を取り除き、屋根だけを天井から吊り下げるスタイルに変更されたのです。
この吊り屋根のアイデアは非常に斬新で、万一落下すると大惨事につながるため、高度な安全技術が必要です。
一方で、屋根自体が本当に必要なのかという疑問もあります。邪魔なら取り除いてもいいのではないかと思うことも。
この点に関しても調査を行いました。
<土俵の屋根の役割>
相撲の土俵は、過去にボクシングリングのように四本の柱に縄を張るスタイルがあり、その柱の上に屋根が設置されたのが始まりです。
つまり、初めは柱だけがあり、後に屋根が加えられたわけです。柱が撤去された後も、守護神獣を表す房のために屋根だけが残されたのかもしれません。これは一つの謎と言えます。
続いて、国技館の土俵のユニークな構造についてご紹介します。
国技館の土俵、エレベーター式の驚きの収納機能
なんと国技館の土俵には、エレベーター式の収納機能が備わっているんです。相撲の試合がない時は、この土俵は地下の専用収納スペースに格納されています。
この驚くべき土俵の収納方法は、日本相撲協会のTwitterで公開された映像で実際に見ることができます。
土俵がこんなにも簡単に収納されるとは、初めて知った時は本当に驚きました。まるで「サンダーバード」の秘密基地を思わせるような斬新なアイディアです!
そういえば、相撲の土俵ってどうやって作るのでしょうか。この興味深い点についても、今回詳しく調査してみました!
相撲土俵の制作プロセスを動画で体験!
地方巡業における土俵制作の様子を捉えた動画を見つけました。ぜひ最初にこれをご覧ください。
では、土俵制作の基本的な流れをご紹介します。
土を盛り上げて基盤を形成する。
小タコ、大タコ、タタキなどの特別な道具で土を整える。
ロープを使用し、直径4.55メートルの円形(土俵)を作る。
土俵の表面を削る。
水をかけ、たたいて表面を硬くする。
俵を配置して土俵を完成させる。
動画の中で特に興味深いのが『4:08』の場面。ここでは、俵の形を整えるためにアサヒビールの瓶が利用されています。ビール瓶の微妙な差異が土俵作りに活かされるのは驚きです。
完成した土俵はまさに芸術品。純粋な土で作られているとは思えないほどの精巧さです。破壊するのが惜しいほど美しいですね。
「5:表面を固める」工程では、土俵の表面が非常に硬く、力士が四股を踏んでも足跡が付かないようになっています。完成度を確認するために、実際に力士に四股を踏んでもらうのでしょうか?
国技館の土俵は、毎回一から作り直すわけではありません。表面の約20センチメートルの土を取り除き、新しい土に交換する「打ち直し」が行われます。これには4トンのトラック2台分の土が必要です。
さらに、以下の追加情報もあります。
<土俵の作成者>
土俵作りは、試合の進行を司る呼び出しによって行われます。本場所だけでなく、相撲部屋の稽古場、地方巡業、海外公演での土俵も彼らが担当します。
<土俵制作の費用>
専門業者に依頼すると、一つの土俵作りに約250万円がかかります。
土俵制作にこんなにも高額がかかるとは驚きですね。さらに専門の業者が存在することも興味深いポイントです。
これで土俵の構造や制作方法に関する話題は一通りお伝えしました。次に土俵に関するその他の雑学をご紹介します。
相撲土俵の雑学:徳俵の位置ずれと俵の作り方
相撲の土俵において、徳俵が勝負俵と若干ずれている理由には歴史的背景があります。かつて相撲が屋外で行われていた時、雨が降ると土俵が水浸しになることがありました。そこで、雨水を流しやすくするため、徳俵を意図的にずらして設置するようになったのです。
想像してみてください。大雨の中で行われる相撲では、土俵は完全に水に浸かってしまうでしょう。おそらく、最初は連続していた土俵に切れ目を設け、雨水を流せるようにしたのだと思います。そして、時間が経つにつれて「一部の俵をずらしておけば便利では?」という考えに至ったのでしょう。
続いて、俵の中身と作り方についてです。
俵は一体どのように作られているのでしょうか?俵の中身には土、砂、玉砂利などが含まれており、形を整えるためにビール瓶で叩いて成形されます。実際の作成プロセスを捉えた動画を見ると、ビール瓶で力強く叩く様子がわかります。意外とストレス解消にも良さそうですね。最終的には、俵は非常に整った美しい形に仕上がり、土俵だけでなく俵そのものも芸術作品のような見た目をしています。
相撲土俵の興味深い事実と由来
相撲の土俵には多くの注目すべき要素が存在します。特に「蛇の目の砂」という部分は重要です。これは土俵の外側にある幅25cmの砂帯で、力士が土俵から足を出した際にそれを識別するために使用されます。相撲の試合中、呼び出しがこの砂帯を整える様子が中継でよく見られます。
また、土俵が最初から円形だったかという疑問については、そうではなかったことがわかります。江戸時代初期、相撲は観客や関係者が作る円陣「人方屋」の中で行われていましたが、しばしばトラブルが起こり、土俵が考案されました。
女性が土俵に上がることが禁止された理由についても議論がありますが、これは明治時代に相撲が神事とされるようになったことがきっかけです。日本書紀には女性相撲の記述があり、江戸時代には女性相撲の興行もありました。しかし「裸体禁止令」が出された明治時代に相撲が神事とされ、女性の土俵上がりが禁止されるようになりました。
本記事では、土俵のサイズ、構造、歴史的背景など、相撲土俵に関するさまざまな情報を紹介しました。伝統的なスポーツである相撲では、道具や所作に深い意味が込められています。
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ここまでが今回の記事の内容です。最後までお読みいただき、ありがとうございました。