特集!心を打つ甲子園の選手宣誓:選抜方法と記憶に残る名言

野球

私は幼い頃から野球が大好きで、高校野球、特に甲子園の開会式での選手宣誓は毎年楽しみの一つです。

選手宣誓はスポーツマンシップを高らかに宣言する重要な時。最近では、心に響くオリジナルの宣誓が話題になっています。

今回は、そんな甲子園での選手宣誓にスポットを当て、選手選定のプロセスや感動的な名言を紹介します。

また、甲子園で宣誓を行い、後にプロ野球選手になった選手たちの話もお届けします。

まずは、選手宣誓を行う選手の選出方法を見ていきましょう。

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甲子園の選手宣誓、選出方法の全貌

甲子園での選手宣誓、その選び方は春のセンバツと夏の大会で異なります。それぞれの方法を詳しく見ていきましょう。

大会ごとの選出プロセス

春のセンバツでは、全参加校の主将がくじ引きを行い、選手宣誓者が決定されます。一方、夏の選手権では、立候補した主将の中からくじ引きで選ばれます。

春のセンバツの選出詳細


春のセンバツでは、出場校の主将全員がくじ引きに参加。これは名誉ある任務とされていますが、中にはこの役割を望まない主将もいるでしょう。

個人的には、主将であれば「選ばれませんように」と思いながらくじを引くと思います。しかし、そもそも主将になること自体が一つの挑戦ですよね。

例外的なケースも存在しています。2011年の第83回大会では、東日本大震災の影響で被災地の学校が参加できず、高野連の奥島会長が代わりにくじ引きを行いました。この例はフェアプレー精神の現れだと思います。

では、夏の大会ではどのように選手宣誓者が選ばれるのか見ていきましょう。

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夏の甲子園、選手宣誓の選出方法とその変遷

夏の甲子園大会における選手宣誓の選び方は、以前と異なります。現在は立候補した主将の中からくじ引きで選手宣誓者を決定しています。この制度は2001年の第83回大会からスタートしました。では、それ以前はどのような方法で決められていたのでしょうか。

第83回大会以前の選出方法

2000年までの大会では、本抽選の順番を決める予備抽選で1番を引いた主将が選手宣誓を担当していました。その予備抽選の順番は、抽選会場に入場した順に決定されていたそうです。立候補制への変更理由は明確ではありませんが、過去には特別な例外も見られました。

夏大会の選手宣誓における例外事例

特筆すべき例外が2回ありました。1972年の第54回大会と2015年の第97回大会です。

1972年の第54回大会では、沖縄が日本に返還された直後の大会で、沖縄県代表の名護高校の主将が特別に選手宣誓を行いました。

2015年の第97回大会は、第1回大会からちょうど100年目の節目で、第1回大会優勝校の後継である鳥羽高校の主将が特別に指名されました。

なぜ97回が100年目なのか?

1915年の第1回大会から2015年は第101回となるはずですが、実際は第97回です。これは1941年から1945年にかけての戦争による中止と中断が理由です。

これらの事実を知ると、高校野球の長い歴史に思いを馳せます。

そして1984年からは、選手宣誓が主将自身の言葉で行われるようになり、数々の名言が生まれています。

甲子園での選手宣誓後にプロ野球選手となった選手たち

甲子園で選手宣誓を行った選手の中で、その後プロ野球選手になった人たちはいるのでしょうか?この興味深い問いに答えるため、調査を行いました。その結果、以下の選手が該当しました。

大会
出身高校
所属プロ野球チーム

1952年夏
水戸商業(茨城)
西鉄ライオンズ

1977年夏
海星高校(長崎)
阪神タイガース

1998年夏
横浜高校(神奈川)
中日ドラゴンズ

2010年春
北照高校(北海道)
ヤクルトスワローズ

2012年夏
酒田南高校(山形)
東北楽天イーグルス
特に注目すべきは、2012年夏の甲子園で宣誓した選手です。東日本大震災の後、彼は選手宣誓を行い、その後プロ野球のドラフトで東北楽天イーグルスに選ばれました。今後の活躍に期待が集まります。

調査のまとめ

この調査で明らかになったのは、甲子園の選手宣誓の選出方法が春と夏で異なる点、およびそれぞれの影響です。

春のセンバツでは全出場校の主将がくじ引きに参加し、夏の大会では立候補した主将の中からくじ引きで選ばれます。個人的に感動したのは、2011年春のセンバツでの創志学園・野山慎介主将の「生かされている命に感謝」という言葉です。

また、甲子園で選手宣誓を行った後にプロ野球選手となったケースは少なくとも5例あります。大会の象徴である選手宣誓を行う選手には、その重要な役割を堂々と果たしてほしいものです。応援しています!